刀剣春日堂BLOG

2011年10月13日

小野城は岐阜城と似ている

刀、「茎表 :兼縄 作 花押   茎裏 :斎藤宗祐所持之」の所持者である、美濃守護代、斎藤宗祐こと斎藤利直八郎左衛門宗祐、城主:小野城とは築城法が岐阜城に似て、城郭自体は急峻な自然地形利用し、大きな石がしっかりと積まれ、椿回廊があり、規模はなかなか大きい城であったようだと神野の住人は、子供ころ良く登り、井戸が残っていたと話す。
 

濃尾平野を拠点を構える斎藤氏にとって、小野城は、奥美濃勢力(飛騨:高山方面)の侵攻を防ぐ城であったと考えられる

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2011年09月21日

小野城、廃城の歴史

新撰美濃志などに、小野山城は天文二十三年(一五五三)落城、廃城になったと記載され、享禄元年(一五二八)に廃城と記録されていると云われている

投稿者 kasugado : 15:20 | コメント (0) | トラックバック

2011年09月20日

必ず”刀・兼縄を携えて、小野城山に上る事を心に決めた

小野城は、関市街から3通りの行き方が有る。隣は、和紙で有名な美濃市です。
私は小野城に向かい、城主、斎藤八郎左衛門宗久(斎藤宗祐)が登城したした時に携えてた愛刀・兼縄が今、戻ってきたことを知らせたかったので、車を道路に止め、車から出して小野城跡の山に向かって刀・兼縄を鯉口から10cm出して、頭上に掲げ崇めた。500年ぶりの再会に

関市小野城主:斎藤八郎左衛門宗久こと斎藤宗祐が所持していた、刀
        茎表 :兼縄 作 花押   茎裏 :斎藤宗祐所持之
         鑑定書:日本美術刀剣保存協会 特別保存鑑定書


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