唯一無二 伊賀平家「播磨家長 花押」威風堂々した長大の太刀

太刀 銘 播磨家長(花押)
第三十七回 重要刀剣指定

附:本阿弥光忠折紙 正徳六年(1716年)
国:備前
形状:身幅広く重ね厚く、腰反り深くつく
長さ:79・5cm(2尺6寸2分5厘)
元寸は99・0cm 略(3尺)長大太刀。
茎 :磨上げ、茎先切り  目釘穴:3個
時代:平安末期から鎌倉時代
伝来:水戸徳川家伝来と伝う

日刀保協会の残された研究課題(重要図譜)について、春日堂は(平家政権下)下記8項目に着目しました。

1・播磨が駐屯地であったこと
2・播磨と備前は政治・経済の中心にあり重要な拠点とした
3・平家と播磨・備前の関係性
4・平清盛と父は播磨を受領した事。
5・平家一門、播磨家長(伊賀平氏)
6・家長の花押
7・戦いおいての武勲の誉(実戦跡)
8・銘鑑
備考>重要図譜のご高覧おすすめ致します
備考>家長は伊賀桓武平氏家長と伝い、伊賀国服部半蔵の開祖と伝う。
参照:日本美術刀剣保存協会・兵庫県神社誌・兵庫県民俗調査報告八桂神社・竹野町の平家伝説

※詳細はお問い合わせください。

画像についてはお待ちください。

1・播磨が駐屯地であったこと
治承・寿永の乱(源平合戦1177~1185)は平清盛、源頼朝の両家を棟梁とする一族の戦い。
主戦場は播磨であり、軍事拠点駐屯地を置いていた。

2 播磨と備前は政治・経済の中心にあり重要な拠点とした
平清盛は播磨、備前にかけ巨大な荘園開発を行い、瀬戸内海の利点を生かし、日宋貿易により政治的・経済的基盤を構築し平家の繁栄をもたらす重要拠点でした。また平清盛は播磨・淡路を平家一門の知行地とし、大規模な荘園「五箇荘」を築き、1180年には福原(神戸市)に遷都計画をしました。

3・平家と播磨・備前の関係性
平清盛は仁安2年(1167年)播磨国の荘園を自らの子孫に与えており以降、平氏政権の重要な拠点の一つとなっていました。播磨国山田は清盛の御用所(別荘)の説。
備前国上道郡(現:岡山県瀬戸内市長船町周辺)1170年ごろ平家の荘園・所領。備前「福岡荘」が代表です。
1179年の後白河法皇幽閉から1185年の平家滅亡までの期間に軍事拠点としての地域となりました。

4・平清盛と父は播磨を受領していまいた。
「平清盛と父」は播磨守を受領していた人物です。父:平忠盛は、白河・鳥羽両上皇に重用され、播磨を含む諸国の受領(国司)を歴任しました。後、清盛の家人も播磨の守を受領されたと伝う。

5・平家一門、播磨家長 (伊賀平氏 平家長)
家長の(父:家貞)は平清盛と父、二代にわたり主従関係にあった。

家貞は平清盛と 忠盛(清盛の父)に仕え、家長も清盛の子(平知盛)とは乳母子の関係にあり、父同様、主従関係にあった。
家長は知盛と入水したとされていると伝。家長は伊賀平氏であり、伊賀国服部半蔵の開祖、伊賀桓武平氏と伝う
<備考>
参照:兵庫県神社誌・兵庫県民俗調査報告・竹野町の平家伝説
(但馬国)兵庫県美方郡香美町香住 「平内神社」 
門脇宰相平教盛(清盛の異母兄弟)と伊賀平内左衛門家長を正治2年6月、11991201霊祠を建て、御霊荒神とたたえる。
祭神: 野椎神。 調書ニハ平教盛 平家長ヲモ記ス
宝物貴重品:巻物 傅後宇多天皇時代(現在紛失)
八桂神社内:石仏4尊の内1尊(平作夫婦 光明真言百萬遍 伊賀氏)安置。
一切の罪障をとかれ、極楽浄土の願いと思います。平家は密教を深く信仰

6・家長の花押
当時は刀匠の花押を刻字する例はなく「家長の花押」が刻字してあること
平安末期から鎌倉初期には花押を使用できるのは公家・貴族・上級武士。
本作の銘に「家長(花押)」があり、極めて少なく事例がない。
<備考>
下記2名があるが、しかし時代は下がり鎌倉中期である。本作の銘:花押から鑑みれば家長は上級武士であることが極めて高く、唯一無二の存在であることに注目される。

日本美術刀剣保存協会によると刀匠の花押使用は鎌倉中期に始まり、畠田守家(鎌倉中期)1名現存。
鎌倉から南北朝まで長船兼光、元徳二(1330)年、建武二(1335)年、建武四(1337)年1名。
計2名が確認されています。刀匠2名は作刀活動しています。
<追記>
守家の作に(上杉伝来の徳用守家・尾州徳川家伝来の兵庫守家・有馬家伝来の鏝切り・宝巖院の鎖切り)が有名。

7・戦いにおいての武勲の誉有り
家長は武将であった事から源平合戦において交えたと思われる痕跡が棟にある。

8・銘鑑
「銘鑑」に記載されない理由に事例がないため研究課題としたこと。
 銘鑑(刀匠)に作例がなく、現存するのはこれ一口のみと日刀保協会の説明。唯一無二の存在に注目

*本阿弥光忠が折紙について
本阿弥光忠は本阿弥家13代当主で、享保4年(1719年)に将軍徳川吉宗の命で名刀の選定にあたって『享保名物帳』を編纂した人物としても知られています。 正徳6年(1716年)に本阿弥光忠が折紙を添えたとされる太刀として、「安綱」の銘があるものが刀剣博物館に所蔵されています

以上、播磨家長には将来、潜在的価値を秘めている。8項目は本作品の際立った点です。

鑑定書

第三十七回 重要刀剣指定 

折紙

本阿弥光忠折紙 備前国 正徳六年(1716年) 13代目当主

種別

太刀

播磨家長 花押

銃砲刀剣類登録証

東京都 第22082号 昭和26年3月31日交付

形状

鎬造、庵棟、身幅やや広く、重ね厚く、腰ぞり強く付き、非常に豪壮で力強い体配であり、棟には大きな切り込みが残され、武勲の誉が偲ばれる。中鋒

長さ

79・5cm(2尺6寸2分5厘)
オリジナル寸法は約3尺程

元幅

3・4cm

先幅

2・4cm

元重

0・8cm

刃文

丁子を主体に互の目交え、飛び焼きかかり、匂い勝ちに小沸付き、総じてうるむ。

鍛え

板目に乱れ映り立つ。

帽子

乱れ込み丸く返る。

彫物

表裏に棒樋を角止め。

磨り上、先切り、佩き表目釘穴下に長銘ある。目釘穴3

彫り物

表裏に棒樋を角止め