水心子白熊入道正秀作之 文政六年二月吉祥 之榎本正鬼所蔵 明治四十三年二月十四日  源胤明上之

●新々刀の一紀元を劃する大御所(初代水心子正秀)二代:水心子正秀の優作。
●姿は伝統的な形の鵜の首造り様式美をモチーフにした荘厳な二尺五寸三分(83.5cm)長い刀です。
●銘:水心子白熊入道正秀作之
文政六年二月吉祥 (江戸末期1823)
●(切付銘)
之榎本正鬼所蔵
明治四十三年二月十四日
源胤明上之
※拵え制作ご相談承ります(金具のご用意希望します)

¥1,350,000 (税込)

説明:
本作は二代:水心子白熊入道正秀です。
文政六年二月吉祥に制作されたことを示しています。
本作の形は短刀・脇差に見られ、正秀の刀への挑戦、オリジナリティを感じ取る。
初代正秀の晩年作に似る。白熊入道の現存する作は少ない。

(切付銘)
源胤明(本名:堀井胤明)は嘉永4年(1851年)に生まれ、師匠は名工、初代:堀井胤吉です。
胤明は堀井胤吉の甥にあたり、後に養子になります。胤吉は生涯独身。
父同様に近江国膳所藩のお抱えとなる。
源胤明上之の意味は(上之はたてまつる)言う意味です。身分の高い人に献上した意味です。
胤明が之の刀を榎本正鬼に明治四十三年二月十四日に差し上げたことを胤明が銘を入れたものです。

榎本武揚は有名な幕末のから明治に政治・教育に貢献した「和魂洋才」を思想・哲学を表した人です。
榎本正鬼銘につきまして、明確な資料が見渡りませんが榎本の親族(別名・通称・号・)の可能性を考えます。

初代水心子正秀の弟子には、月山貞吉・大慶直胤がいます。
吉井胤吉の師匠は月山貞吉・大慶直胤です。水心子正秀の同じ流れをくむ源胤明です。
胤明親子は大正7年1918年に室蘭に移住。<瑞泉鍛刀所百年の歩み>より
本作品は父胤吉の大師匠、初代水心子正秀の流れをくむ、源胤明と二代白熊入道正秀と互い二代の関係を示した作品です

鑑定書

公益財団法人:日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書

種別

武蔵

長さ

二尺五寸三分  83.5cm

反り

一寸二分

目釘穴

2個

刃文

互の目に所々小互の目2つ3つ連れ焼し、尖り刃交じり、足入り、匂い深く、小沸つく、わずかに砂流しかかる。

鍛え

小板目肌に板目肌流れ、地景入り、刃明るく、鎬地に鍛えあとあり。

鋩子

乱れて返るわずかに先掃きかける

元幅

元幅3・2cm  

元重・棟重

元重:0・9cm  棟重ね:0・2cm(薙刀彫りから帽子まで)

先幅

先幅2・6cm

生茎

彫り

表裏、やや長めの添え樋に薙刀樋

白鞘

新しい

研ぎ

新しい

はばき

銀一重はばき

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