2026・7・26刀剣研究会霜華塾

猛暑で入鹿池に人影も少なく暑い日でした
1・刀:銘・長曽祢興里入道乕徹(重要刀剣)
2・刀:銘・長曾祢興正(重要刀剣)
3・刀:銘・二代 近江守法城寺橘正広(重要刀剣)
4・寸延び短刀:銘・義助 
  彫り:表:素剣 裏:棒樋
5・短刀:銘・備前国長船清光
       天正二年五月日

虎徹の名刀の鑑賞

1⃣ 江戸新刀の代表作。後期の作、「ハコトラ」の寛文7年頃の作である。
帽子直ぐに小丸、共にさかんに掃きかける。元先の幅さややあり、元先の幅さややあり、先反り高くつき、中鋒となる。板目、少し杢交じり、地沸微塵につき、地景太くよく入り、地金冴える。
帽子は直ぐに小丸、共にさかんに掃きかける。足太くよく入り、刃明るく魅力のある乕徹でした

2⃣長曽祢興正は長曽祢虎徹の門人で師に従って越前福井から江戸に来住し、後にその養子となって二代目虎徹を継承した。興里は彫刻の名人で、切れ味は、”最上大業物”と格付けされ、「三ツ胴截断」と山野加右衛門の試し銘の入った刀もかなりあります。刃文は互の目のパターンの中に細かく働きがあり、反りの浅く。地鉄の杢目肌が詰まって強い。いずれも足が入る。鋩子は小丸、上品に返る。

3⃣近江守法城寺橘正広
二代には延宝・元禄の年紀があります、作風は長曽祢虎徹に近く、加えて山野の截断金象嵌銘の多い 、法城寺一派は虎徹一門と相当近い関係にあったと思われる 。良く詰んだ小板目の地鉄に整った沸できの互の目刃幅太く焼いており、足は強く入り、二重刃かかり帽子やや深く小丸に返る

4⃣義助の時代の寸延び短刀姿は、南北朝期と似ていますが末古刀の姿の違いなどをご教示されました。
皆焼は古刀では全国で行われていました。義助の皆焼き刃文が棟にまでつながり特徴がありました。

5⃣備前国長船清光の刃紋は匂勝ちの直刃に沸付き、葉及び湯走り金筋・砂流し所々入り、二重刃交り地鉄は板目に木目交じる。帽子尖り風に返る。

□ご講義1 重要なポイント
長曽祢虎徹と類似する刀との見分け方、また迷った時の虎徹の極意を教えていただきました。
ことわざに「虎徹の棒反り」は有名ですが、実際は虎徹には比較的反りがあるものがあります。
□ご講義2 江戸新刀が発展した理由 
・徳川幕府が政治と軍事の中心
・家光の参勤交代により全国の大名を統制したことに始まり武士が江戸に集まる。
・明暦の大火、江戸市街地の約6割を焼き尽くした、ことにより焼失したこれらが要因

所感
江戸出府の刀匠
虎徹:滋賀県→福井県(越前)。興正:滋賀県(近江)。正弘:兵庫県(但馬)。大和守安定:山形県(出羽)→石堂一派。康継:(越前)。和泉守兼重:(越前)→伊勢国(藤堂家お抱え)。繁慶:愛知県(三河)。江戸へと一極化した
・感性の中として
新刀は伝承されつつ洗礼された美、古刀は5箇伝の古雅の美と申しましょうか。歴史背景における個人の時代感覚・感受性にもあると考えます 【執筆:霜華塾代表・山田】

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