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美濃の刀匠と歴史
兼定と観音経について
兼定は全国で最初の受領銘を受けている刀匠です。

兼定は、永正元年(1504)に願主として、法華経普門品第二十五を出版している。

この経を 「永正元甲子九月日」出版月日が観音経、最後に疋定銘が成されている。
永正元は之定銘になっているが、受領銘(和泉守)は受けていない。
この「観音経」は天下一品の珍本と絶賛されている。
この観音経は具体的に書かれていて、分かり易くなっている。
此れについては、福永酔剣氏が清麿会で発表している。
観音様(観音菩薩)は、広く世間の声聞いて救いを垂れる、つまり「世ノ音ヲ観ズル菩薩」と意味から名ずけられたようだ 。
当時(永正元年)これほどのの豪華本を出版には、莫大な費用がかかった事は当然であろう。
兼定の観音経出版を知った時には驚いたが、直ぐ様に兼定なら出来ただろうと思い直しました。
兼定は何故に、これほどのことを、やってのけれたのだろうか?に付いて考えて見たい。
此れについては「武田と日蓮宗との関係」を後に述べてみる。

※ 現在・観音経、法華経普門品第二十五版は「大英博物館図書館所蔵」です。
  所有者はイギリスの故・アーネスト・メイソン・サトウ氏のコレクションの中の一部です。
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アーネトサトウについて
サトウ氏はイギリスの外交官で長く日本に滞在していました。来日されたのは、明治元年から同年17年まで在日しました。

2回目は、同年28年から33年まで在日。日本の古版本に付いて研究し「日本耶蘇会刊行書誌」を出版している。
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日蓮聖人とその愛刀
日蓮聖人は、1274年5月17日を身延入山の日。

1281(弘安4)年11月24日、本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山久遠寺」と命名されました。

日本に伝わった「妙法蓮華経」は、聖徳太子の著書「法華義疏(ほっけぎしょ)」のなかで仏教の根幹に置かれるなど、最も重要な経典として扱われます。そして鎌倉時代、日蓮聖人によって「妙法蓮華経」は、「末法救済のためにお釈迦さまによって留め置かれた根源の教えでる。」と、説かれたと伝えられています。

現在・山梨県・総本山身延山久遠寺は1475(文明7)年、第11世日朝上人により、現在の地へと移転され、伽藍(がらん)の整備がすすめられ、後に、武田氏の頃や徳川家の崇拝、外護(げご)を受けて栄える。1706(宝永3)年には、皇室勅願所ともなっています。尚、皇室勅願所ともなった時期は、昭和時代からのようです。

日蓮聖人の愛刀
「国宝・数珠丸恒次(古青江)後鳥羽上皇の十二人番鍛治の五月と六月」
入山の際に、持参したと伝えられている。恒次は、中青江まで続く。ここで簡単に、古青江と中青江の違いの特徴を述べる。地金の違いが現れ、青江には、ちりめん肌といわれる独特の地肌がある。

≪資料提供≫ 身延山久遠時
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