刀剣春日堂BLOG


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2005年03月19日

後鳥羽上皇 様  「竹島」 は?

後鳥羽上皇 様 「竹島」 はどちらであらしゃれる?
天領でございますか?それとも無人島?なのですか
隠岐の海士町に在島19年間配流され、竹島はいかがあらしゃれる

【後鳥羽上皇の御番鍛治は最も有名です】
御番鍛治とは後鳥羽上皇から召し出された月番で刀を作った鍛治(刀匠)がある
之が最初出来た十二人制の番鍛治。承元の御番鍛治とも言う

(1180-1239) 第82代天皇(在位 1183-1198)。
名は尊成(たかひら)。高倉天皇の皇子。
土御門(つちみかど)天皇に譲位後、三代にわたって院政を行う。
1221年(承久3)北条義時追討の院宣を発して鎌倉幕府打倒に失敗(承久の乱)
隠岐(おき)に配流され、この地で没。
後に後鳥羽院と改められた。

投稿者 kasugado : 2005年03月19日 12:43

コメント

ほお、後鳥羽上皇・・・歴史上、官軍が敗れた珍しい承久の乱ですな。承久の乱の戦場は、関からも近い各務原市辺り。現在の各務原市前渡の辺りに官軍、木曽川を挟んで愛知県江南市側に鎌倉方の軍勢(官軍の10倍)が対峙していましたよ。しかし、鎌倉方は最初は弱気で「官軍に弓は引けない、降伏しよう」といった具合。そしたら、子殺し、何より実家大事の尼将軍婆さん北条政子が「ここで負ければ、武士の世は終わり、公家の世に戻ってしまい、武士は公家の用心棒に戻るだけ」と一喝、かくして鎌倉方の勝利。情けない
 御番鍛冶は名工だらけ。でも当時は現代刀だから、承久の乱で散々使われたのでは。現在残る名品は、戦でも折れず、後世の戦災でも消耗しなかったもの。奇跡的ですな。
 

投稿者 源新羅三郎義光 : 2005年03月24日 08:39

・源さんからのコメントに「当時としては現代刀だから」について、お答え致します
当時と現在とは状況が違いますから、あえて現代刀として言ならば、人間国宝クラスとみる

・「承久の乱で散々使われたのでは」のコメントのお答え
そのような事は考えられない。御番鍛治の十二番制鍛治はとは全国の名匠が選ばれ、その刀を奉納した。

・御番鍛治の十二番制鍛治は現在は国宝・重要文化財指定になっている物が殆どです

投稿者 春日堂 : 2005年03月27日 13:29

官軍方の武士は、近江守護職佐々木広綱をはじめ、参議、侍従、従五位、蔵人など身分が高いのが沢山です。しかも官軍は、帝より刀を賜るのが通例。佐々木家の記録には、天皇、上皇より、錦の御旗と太刀(御菊作か?)を賜るとありました。名のある武士は恩賜の武具として薙刀や太刀を賜るとの資料もあります。承久記にも北面、西面の武士、朝廷の関係者が備前則宗や備中貞次の太刀を賜り、誇らしげにしていた様子が記述されています。

投稿者 源新羅三郎義光 : 2005年04月04日 08:20

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